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カソリの林道紀行(10)中部編(その1)

 (『バックオフ』2004年7月号 所収)

「九州編」、「四国編」、「関西編」と、西日本のダートルートを走破してきた「ダート300キロ走破行」だが、全国のダート走破を目指していよいよ日本中央部の「中部編」に突入だ。

 どのようにして「中部編」をまわろうかとさんざん地図を見ながら考えた末に、「東京-富山」に着目。林道を走りつないで「東京-富山」を往復することにした。
 今回はその第1弾。甲州の林道が中心だ。
 林道を走りながら甲州を味わいつくすのだ!

 5月31日の午前6時、JR青梅線の青梅駅前でブルダスト瀬戸と落ち合った。ぼくがDR-Z400S、瀬戸さんがDJEBL250XCと、スズキコンビで甲州から信州にかけての林道を走りまくるのだ。

 青梅駅前の集合というと、雪と氷の大名栗林道走破以来で、瀬戸さんと「いやー、あのときは大変でしたねえ」と挨拶がわりに、しばし大名栗林道の思い出話で盛り上がった。

 駅前のコンビニで朝食用の弁当を買うと出発。青梅街道の国道411号を西へ、東京都から山梨県に入る。「青梅」は奥多摩から多摩川源流地帯に行くときは、すごく便利だ。

 早朝なので国道もガラガラ状態。7時過ぎには第1本目の泉水谷・横手山林道の入口に到着。まさに「早起きは三文の得」なのである。

 国道沿いには名市長の誉れ高い元東京市長の尾崎行雄の「多摩川水源踏査記念碑」が建っている。この地をくまなく踏査した結果、尾崎行雄は明治42年(1909年)、広大な地域の水源林を買収した。そのおかげで今、多摩川の源流一帯には、豊かな自然が残されている。

 多摩川源流地帯の渓流はどれをとっても澄みきった流れで、下流の多摩川とは似ても似つかない。そんな尾崎行雄の「多摩川水源踏査記念碑」前で瀬戸さんとコンビニ弁当の朝食だ。

風林火山
 泉水谷・横手山林道は鶏冠山の南側を通っている。
 この山は別名、黒川山。甲州の武将、武田信玄は優れた鉱山師でもあり、この山の周辺で金鉱脈をみつけた。「黒川千軒」とよばれた一大鉱山集落ができたほどの金鉱山だ。
 信玄は黒川山のみならず、甲州のあちこちで金鉱山をみつけ、それが武田軍の豊富な軍資金になった。

 そんな甲州の歴史の一端にふれながら泉水谷・横手山林道を走り、国道411号に出た。
 次に柳沢峠を越え、峡東の塩山に下っていく。

 四方を山々に囲まれた甲府盆地はまさに甲州の中心。甲州人はそれを「国中」と呼んだ。国中の中心が甲府で「峡中」になる。塩山を中心とする東側が「峡東」、櫛形を中心とする西側が「峡西」、韮崎を中心とする北側が「峡北」、鰍沢を中心とする南側が「峡南」になる。

 甲斐は「山峡(やまかい)」からきた国名。これら峡東、峡西、峡北、峡南が今でもふつうに言われているところが甲州のすごさだ。

 塩山から太良峠へ。
 峠に立ち、足下の甲府の市街地を見下ろした。真下が武田神社。武田信玄が日本制覇を夢見た武田氏居城の館跡が武田神社になっている。そこには今でも空堀りが残されている。

 太良峠を下ったところにある要害山は武田信玄生誕の地。近くの積翠寺境内には信玄の産湯につかった井戸もある。信玄は甲州人にとっては今だに英雄だ。そのため「信玄」と呼び捨てにせず、「信玄公」といって敬っている。

 甲州人は武田の軍旗の「風林火山」が大好きだ。
 甲州人と飲むと、酔うにつれて「武田節」が飛び出し、「信玄公があともう何年か生きていたら、天下を取ったのに…」という嘆き節になる。

林道舗装化時代
 太良峠からの絶景を眺め、武田信玄を偲んでみたところで、峠から北へ、水ヶ森林道に入っていった。
 すっかり舗装の延びた水ヶ森林道を走り、乙女高原から焼山峠に出た。

 ぼくが初めて甲州のこのエリアを走ったのは今から30年余前のことになる。
 当時の焼山林道は全線がラフなダートだった。そのまま柳平から峰越林道の川上牧丘林道に入っていったが、川上牧丘林道も全線がダートだった。山梨・長野県境の大弛峠を越え、峠を下ると今度は川上村最奥の集落、梓山から長野・埼玉県境の三国峠を越えた。そして埼玉側の中津川林道を下っていった。このルートはまさに日本有数のダートコースになっていた。

 焼山峠から乙女高原への荒川林道も、水ヶ森林道も全線がダートだった。
 それから何年かすると、焼山林道が舗装された。ぼくはそのとき「林道舗装化時代」を予感したが、まさかこれほどの速さで甲州の林道が舗装されるとは夢にも思わなかった。

 それだけに信州峠を越えて信州に入り、以前とそれほど変わりがない川上牧丘林道の信州側のダート区間を往復し、3区間のダート合わせて25・7キロというロング・ダートの茂来林道を走り、すこしは胸のつかえが取れたような気がした。
 我らオフロードライダーにとって、ダートを走らないことには話にならない。

 ところで北相木村から佐久町へと南から北へと走った茂来林道はよかった。
 第1区間は峠越えルートで、山中を縫って走る。
 第2区間ではループ状の信濃山林道に接続している。
 第3区間では分岐する支線がこの地方の最高峰の茂来山(1718m)の山頂近くへと延びている。ぼくにとっては初めての林道だった。

 信州峠を越えてふたたび山梨県側に戻ると、増富温泉の「増富の湯」に入った。
 源泉の湯温は30度。温いというよりも冷たい湯。ところがこの湯に長くつかると、不思議なほどに体がポカポカしてくる。増富温泉は世界でも有数の放射能泉で、昔から万病に効くといわれている。

 増富温泉はまた「信玄の隠し湯」としてもよく知られている。
 信玄は金鉱のみならず、温泉の科学にも熟知していた。そのため甲州内にはさきほどの太良峠下の要害温泉や積翠寺温泉をはじめ、甲府市内の湯村温泉、上日川峠下の嵯峨塩温泉、笛吹川流域の三富温泉、川浦温泉、天科温泉の3湯さらには下部温泉と、各地に「信玄の隠し湯」が点在している。戦闘で傷ついた将兵たちを温泉で癒したのだ。

 これら「信玄の隠し湯」はどこもよく効く。
 甲州の林道の最後は韮崎の南側の林道群。3本の林道を走って韮崎に戻ると、釜無川を見下ろす高台上の新府城跡を見た。武田滅亡の舞台。
 信玄の息子の勝頼は結局、この城には入れず、逃げ落ちた。
 そして天目山で織田・徳川の連合軍に滅ぼされた…。

 全部で12本、合計117・4キロのダートを走った「中部編」の第1弾目。
 次は富山を目指しての第2弾目だ。

テーマ : ツーリング
ジャンル : 車・バイク

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